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アフィカス
アフィカスという言葉がある。
人によっては、著作権違反やスパムを用いてアフィリエイトを行っている人をアフィカスと呼んでいるが、多くの人はネット広告全てに嫌悪感を抱き、掲載するサイトや人をそう呼んでいる。
アフィリエイトは元々成果報酬型のネット広告を指す。
ただ、主にまとめサイトの事をそう呼んでいる事から、このアフィカスで言われるところのアフィリエイトは成果報酬型に限らずクリック型を含めたネット広告で収益をあげるサイト全般を指しているようだ。
2ちゃんねるのまとめブログ
まとめサイトと呼ばれる2ちゃんねるの面白かったスレッドをまとめたブログが、金儲けに走るのを良く思わないのは理由として何となくわかる。
著作権上問題になる事も多いし、創作をせずに楽して稼いでいるというイメージもあるからだろう。
まとめサイトに関しては前に一度自分も記事にしている。
もちろん、著作権等に関しての問題は、今話題のキュレーションサイトと呼ばれるサイトやバイラルメディアに関しても同様の事が当てはまる。
ただ、これら一部のサイトをアフィリエイトサイト、ブログへと一般化するのは間違っている。
ブラックハットを含めたスパム行為でない限り、文章を独自に創作して発信しているサイトが集客出来ているのは、ユーザーに評価される、役に立つサイトであるからと考えても良いだろう。
例外に関してはもちろん批判の対象としても良いだろうが、基本的には、情報発信がユーザーの役に立ったり、エンターテインメントとして楽しませる事に寄与しているはずだ。
ネット広告と既存メディアの広告の違い
個人でネット広告により収益をあげているサイトがカスだとすれば、Yahoo!を始めとしたコンテンツの提供やウェブサービスを提供している大手ウェブサイトもカスとしなければ論理は通らない。
また、ネット広告がカスだとすれば、既存メディアの広告もカスになるだろう。
両者に性質上大きな違いは無いからだ。
ネット広告同様、大手既存メディアも有料での情報発信や営利目的だったり、自分たちの自己実現、主義主張を広めるために運営されている。
もちろん、上でも述べたように、ネットではルールからずれても堂々と営利活動をしている人たちが、より多い事実は否定しない。
スパム全般から著作権違反まで、アフィカスと呼ばれてもしょうがないスパマーやウェブサイトがあるのも事実である。
ルール違反者はネット広告に限った事ではない
ただ、こういったスパムが生じてしまうのは、新しい仕組みに対して、きちんとしたルールが定められていないからである。
看板も規制が入る前は多くが歩道や道路にはみ出していたし、条例で規制される前は京都の街も景観を損なう派手な広告が掲げられたりしていた。
アフィリエイトを含めたネット広告は既存のメディアと比べてルールが未だ十分でない点は確かにある。
もちろん、規制ばかりが叫ばれてしまうと、子供の公園事故で公園の撤去が進んでしまったように、窮屈な社会になり兼ねない。
立法で縛り過ぎると、規制だらけの社会になってしまうので慎重にならざるをえないのだ。
これは既存のメディアにおける広告も歴史的に通ってきた道であり、それでもいずれは改善に向かって行くだろう。
やはり、現状において、ネット広告と既存広告に違いなどほとんど無く、ネット広告だけ、しかも個人のウェブサイトだけが収益をあげるだけで「カス」と批判されるのは明らかに筋が通らないのである。
広告に対する嫌悪
ネット広告と既存のメディア広告に違いは無い。
こういう反論をすると必ず出てくるのが、「広告全てが悪だ」という主張だ。
広告全てをカス、クソと呼び嫌悪するのである。
おそらくそういう人達は多くのエンターテインメントもスポンサーをはじめとした広告によって成り立っている事も知らない人だろう。
スポンサーがいるからこそ作品の質が上がり、より安価、もしくは無料でこれらエンターテインメントを自分達は楽しむ事が出来る。
エンターテインメントとは、映画やアニメだけではない。
スポーツの多くや音楽業界だってそうだ。
広告を付けずに高いお金で低質な作品を楽しむか、広告を付けて安価で高質な作品を楽しむ。
よっぽどお金に余裕がある人で、広告を相当嫌悪する人でなければ、後者を選ぶのは当然の事だろう。
エンターテインメントだけではなく、広告によってサービスがより安価で便利にもなるのだ。
都バスから公共交通機関も広告を入れるようにして、その収入から住民の税金が使われる量が少なくなった例だってある。
個人メディア・ブログにおけるアフィリエイトの正しい考え方
アフィリエイトをはじめとしたネット広告を載せているブログ等は、基本的に雑誌やフリーペーパーと何ら変わりはない。
情報が正しいかどうかという点は大手メディアでも言える事で、大きなリスクを伴う場合はきちんと情報の精査を各個人が自己責任でしなければならない。
もちろん、スパム的にサイトリンクが送られてくるは不快だし、法律的にも問題がある。
また、人を不快にする内容であれば批判を受けてもしょうがないだろう。
ただ、だからといって、全てのサイト運営者をカスとするのは無理がある。
法律に違反したり、スパムも用いない健全に収入を生み出すサイトまでも、アフィリエイトをしているだけで批判する事は筋が通らないのである。
意図する収益と意図しない収益
ブログはほとんど個人で運営されているため、報酬はその運営者個人へ入ることになる。
通常の広告同様の収益方法の他にも、中にはサイト運営者に報酬を与えたいが故にあえてそこから商品やサービスを申し込む人もいる。
ニコ生など動画配信界隈では、配信者が晒した銀行口座に直接現金を振り込む人リスナーもいるぐらいだ。
これはネットにおける活動で、個人へのスポンサーに対する新しい仕組みかもしれない。
こうした読者が意図した報酬よりも、現状のアフィリエイトは意図しない、希望しない運営者への報酬の方が批判の対象になりやすい。
おそらく騙して収益をあげたと考える人が多いからだろう。
Googleも検索エンジンという非常に便利なサービスを提供しているが、このサービスを開発、改善するのに莫大なコストをかけても、利用者に表示している広告からはそれ以上の莫大な利益を回収出来ている。
その額は毎年数千億円だ。
その事実も知らない人は意外と多い。
ネットを利用する全ての人は、情報の取得やサービスの利用と引き換えに、 広告の提供を受ける事を暗黙の了解の下で同意しているのである。
Googleに意図しない利益を与えるのが嫌であれば利用しないという選択肢もユーザーは持っているのだ。
利便性と広告が提供される事のリスク
この記事を読んでいる人の中には、アダルトサイトの年齢確認と同じような方法で、広告の提供に同意する事がサイト閲覧の条件とすべきと主張する人もいるかもしれない。
だが、アダルトサイトの年齢確認も煩わしいのに、全ての情報やサービスへアクセスする度にこのような同意を求められるのをあなたは望むだろうか?
今のネットでは情報やサービスがサイト間で横断する事も多く、煩わしさはアダルトサイトの年齢確認の比ではなくなる。
広告という限りなく0に近いリスクのために、そこまでするのは多くの人が望んでいない。
ネット上において、情報の提供を受けたり、サービスの利用をした時点で、サイト運営者に報酬をもたらす可能性があると一人一人が知っておくだけで十分だろう。
アフィリエイトを一括りにしてアフィカスと叫ぶ人はアフィリエイトの理不尽さを強調する。
しかし、それは広告の役割やそのネットにおける利便性と比較した結果、収まるところに収まるという事を知らない無知から来ていると断言出来る。
ブログの作り方に関しては下記の記事も参考に。
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