日本の将来に不安な貧乏人は物価の安い海外へ逃げればいいと思う

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はてなブログ界隈は少子化が日本を終わらせるといった趣旨の下記記事が現在話題となっている。

社会構造の変化を促し、最悪のケースにならないための主張かもしれないが、多くの人は日本の将来に不安を感じたはずだ。ニュースでも話題になるのはどちらかと言えば毎回悲観論。人々を不安に陥れる悲観論ほど拡散しやすい。

 

 

少子化に対する楽観論

楽観論はインパクトの無さから、あまり取り上げられる事はない。ただ、少子化に対する見通しは科学的な見地から見れば楽観論も多い。

 

科学の進歩

先進国になればなるほど、最低限生きるためにかかる費用の割合は少なくなる。例えば、食費に関しても、貧困国が出費の多くの割合を占めるのに対して、先進国が食費占める出費の割合は少ない。

もちろん、これは交際費や楽しむといった人間が生きるために摂取する行為と離れている付加価値が付いたものを除いて考える。

 

食べ物だけでなく生産性の向上によって、必要なものほど価格は下がって行く。野菜が数十円となるのも我々の世代が死ぬまでに経験するだろう。ライフラインに近いコストが下がるなかで、時間を持て余した未来人の多くがお金を惜しまないのがエンターテイメントに関する分野だ。広義のエンターテイメントにおける出費の割合は、先進国において、これからもどんどん割合が増えて行くはずだ。

 

介護といった生きる上で必須となる分野でも当然科学の進歩が見られるようになるだろう。莫大な需要をもたらすこの分野への参入は今のIT業界以上に積極的になり、重労働とされる介護の現場も機械化が進むことにより、介護士の負担がどんどん少なくなる事が予想される。

 

再生医療

また、それ以前に介護が必要な老人の数も減ると考えられる。多くの要介護が必要な老人は筋力の低下によって生じるが、日本人科学者の作り出したiPS細胞は脳以外の全ての器官を再生する事が可能な技術である。

実際動物実験では、すでにほとんどの臓器や耳などの器官の再生に成功した。恐らく、人間の臓器も公にはされない場所で、すでに再生実験を行っているはずだ(ロシア、中国など)。

脳の老化は筋力の低下によってもたらされる部分も多いので、脳以外を全て新品に変える事が可能なこの技術は、劇的に生産人口の減少を改善するだろう。脳の衰えのみで筋力の低下が見られなければ、介護とは別のサポートが必要になるが、負担は大幅に改善するはずだ。

 

幸せとは相対的な価値である

上で引用した記事の中には外国人介護士による虐待を可能性の1つとして取り上げている。ではこういった外国人介護士による虐待は起こり得るだろうか?

こうした科学の進歩による楽観論を除いて考えても、引用した記事のような外国人介護士が老人を虐待するケースは日本人介護士に満たないだろう。

 

多くの人が勘違いしているのは、幸せとは絶対評価ではなく、相対評価だという事である。

詳しくは上記記事を見てもらうとして、老人虐待をする介護士が出て来てしまうのは相対的に満足を得られる職業ではないからだ。大変な仕事の割に、周りに比べて給料が少ない事から、ストレスや不満も溜まっていったのである。

 

仮に介護士の給料を年収250万円だとして、この額を東南アジアの水準で見たらどうだろうか?例えば、タイでは月12万円程度を越えると人口の上位10%を越える富裕層となる。このレベルの収入の人でも車を購入し、良いマンションで暮らす事が出来る。収入が日本以上に重要視されるタイなら、美人と付き合う事がより容易だし、結婚相手にも困る事は無いだろう。

仕事の労力は変わらない重労働だったとしても、現地で250万円を得ることが出来たとすれば、余裕からか満足のいく生活を送る事が出来る。

 

日本がインドネシア人、フィリピン人看護師・介護福祉士候補者の受入れを始めたのは記憶に新しい。母国ではすでに資格も持っており、キャリアを持った優秀な彼らがこうした日本人の嫌がる業界へ次々と訪れる理由は明確だ。母国の給与水準に比べて非常に高い給与を得ることが出来るからだろう。

 

今までにこうした外国人介護士による老人虐待の事例は報告されているだろうか?恐らく、今後虐待が報告されたとしても、数ではもちろん割合的に日本人よりも少ないはずだ。それほどこの日本で働く事に魅力を感じており、応募が殺到するほど彼らから見て満足のいく所得を貰う事が出来る。

 

 確かに、給与が母国でも満足に得られるという理由で、彼らの多くは帰国してしまっている。

1869人のインドネシア人、フィリピン人介護士・看護師のうち、国家試験に合格したのは402人。「読売新聞」6月27日朝刊によれば、合格者の約2割の82人がすでに母国へと戻ってしまったという。日本での就労機会を蹴ってのことだ。

EPAに基づく外国人介護士・看護師受け入れは、なぜ失敗したのか
EPAによる受け入れ開始から6年が経った今、介護士らはどうしているのか。かつて取材した外国人介護士たちの「その後」を追ってみた。

そして、日本の給与水準はどんどん新興国と差が無くなっているが、そうなれば介護士になるために日本へ外国人が来る事も無くなるだろう。

 

いずれにせよ、外国人介護士による虐待を心配する必要はないし、これは他の労働現場でも基本的には言える事だろう。

 

避けなければならないのは相対的な不幸せ

少子化や老後の心配の多くがお金から発生している。逆に言えば、金さえあれば将来を悲観する事は何もない。老後も手厚い介護を受ける事が可能な高級施設へ入る事が出来るだろうし、子供を作る事も出来る。

 

日本に住んで充分なお金を得られる環境にある人は、そのまま現状を維持すれば良いだけだ。

問題はお金が無く、社会的信用も無い、非正規のアルバイト労働者などであろう。自分もそうだったが、この地位に落ちれば、今後雇われの身で満足のいく所得を得る事を期待出来ないし、将来に対する不安が常に付きまとう。

 

この地位から抜け出すにはどうすれば良いだろうか?あくまでも自分の考えになるが、そんな彼らは物価の安い海外に住みながら日本で稼げば良いのである。自分もウェブサイトの運営から収入を得ているので、日本に居る必要が無くなっている。

ネットを使って遠い位置にいる顧客に対価を提供できるビジネスであれば、日本の水準で稼ぎ物価の安い海外に住む事が可能となる。クラウドソーシングサイトを見ればそういった仕事はいくらでもある事に気付くだろう。

 

このブログを以前から読んでいる人は知っているかと思うが、自分は同じ提案を何度かしている。するといくつかの決まった批判が来る。

 

「海外に出て失敗したらどうするんだ!」

「日本に寄生するな!」

と言ったものである。

 

これら批判に反論しようと思う。

まず前者に関してだが、フリーターを始めとした非正規雇用者がこれ以上落ちる立場にあるだろうか?海外に出て失敗したら戻ってくれば良いだけだろう。正社員に比べて同じ地位に戻る事は非常に容易だ。

給与が低ければ低いほど、現状復帰が可能なわけで、むしろ現状を維持する方がリスクが高いと言える。

リスクの殆ど無いサイト運営はともかく、事業であれば借金というマイナスの可能性は確かにある。しかし、これも自己破産が出来る条件で融資を受ければ問題ない。個人間だったり、裏社会の関与するような失敗した際のリスクを回避できないような条件での挑戦は避けるべきだし、ケースとしては少数だろう。

 

また、海外にいながら日本で稼ぐ事を「日本に寄生している」という人もいる。こういった主張をする人達は是非明日から自給自足の生活をしてほしい。

工業製品はもちろん、食べ物の多くは海外から購入し、家畜は日本で育ててたとしても餌は海外から輸入しているケースが殆どだ。日本は海外から物を買うなど、資本の流出無しに経済を成り立たす事が殆ど出来ない。日本に寄生する海外にいる彼らのおかげで経済が回っている。

それと同じことで、海外に住みながらも日本で稼ぐ事が出来るのはそれだけの対価を提供でき、需要があるからだ。

心配せずとも、もし日本に海外へ流出させるだけの資本が無くなれば自分達も稼げなくなる。そうなれば、日本に寄生出来ず、海外現地で稼いだり日本国内での経済活動へ戻ったりしなければならない。

 

海外現地の一般的な医療・介護サービスに満足出来なければ、物価の安い国へと逃げて行っても日本以上にお金がかかることもあるかもしれない。貧しい国でも同じ日本人同士でつるむ事になれば、相対的な豊かさを感じることも無いかもしれない。

貧乏だからという理由で海外に逃げ、海外に染まる事が出来ない人も多い。染まる事が出来なければ結局は日本にいれば良かったという事になる。しかし、それで戻ったところで、貧しい人の立場が前よりも悪くなる事もないだろう。

 

新卒の就職特権で正社員になり、一度もルートから外れたことの無い人にはリスクが大きいことなので、前からこういう人には海外への挑戦を薦めていない。ただ、自分のような前職がフリーターだったり、非正規雇用者が日本にこのまま住み続ける事で将来に不安を感じたら2、3回海外に逃げる事を薦めたいと思う。

 

ちなみに、こうした形で海外へ行く事にポジティブな印象を与えるつもりはない。だから今回も敢えて「逃げる」という言葉を使わせてもらった。

 

 

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