踊るバイエイターの敗者復活戦

少ない収入で生きてる人へ、主に楽天経済圏を利用した節約、新しいお金の稼ぎ方を提示し、踊りながら(楽しみながら)生き抜くための知恵を紹介するブログ。

タイにおける選挙から政治情勢まで「タクシン」を中心に詳しく紹介する


タイにおけるデモ

www.flickr.com

 

2014年5月22日、タイ国軍によるクーデターが起こった。このクーデターから5年弱が経ち、本日2019年3月24日、タイでは総選挙が行われている。本日の夜にも大勢が判明する見通しで、軍事政権から民政への「表面的な」移管は行われる予定だ。

 

2014年当時クーデターを起こしたのはタイ陸軍司令官・プラユット司令官、元現タイ首相である。

プラユット司令官(現タイ首相)

2014年5月22日、テレビを通じてクーデターを宣言するプラユット・タイ陸軍司令官(現タイ首相)右から2番め。

 

プラユット首相は今回の総選挙でも「国民国家の力党」の首相候補として立候補し、首相再選を目指している。

 

世論調査やタイメディアの予想によると、この親軍政党である国民国家の力党は第2党、第3党に留まると予想されている。

タイには主要な政党が4つあり、有力な政党から順に紹介すると

1.タイ貢献党(タクシン派、反軍政)

2.民主党(反タクシン派、反軍政もしくは中立?)

3.国民国家の力党(反タクシン派、親軍政)

4.新未来党(タクシン派もしくは中立?、反軍政)

となっている。

ただ、民主的な選挙で選ばれるのは下院議員の500人となっている。首相を選べるのは下院議員500人に加えて上院議員の250人も加わる。この上院議員250人は軍が指名できるよう憲法が改正された。3分の1を軍がコントロールできる状態での原始的な民主主義と言える。

 

このようなクーデターを含む軍の政治関与はタクシン派を含む比較的新しい政治勢力に対抗する形で行われている。タイの政治を語る上でもこのタクシンという人物無しには語れない。

 

この記事では

▶ タクシンの勃興から現在

▶ タクシン・チナワット退陣後のタイ政権

から

▶ 日本への影響を含むタイの今後

についてまで詳しく述べていきたいと思う。

 

 

タクシンの勃興から現在

タイの現代政治を語る上で必ず触れなければならない人物がいる。それがタクシン元首相である。

タクシン元首相

タクシン・チナワット氏(wisebk.com/newsより)

 

タクシン元首相が2006年9月19日に首相の座を失ってから現在まで10年以上も年月が過ぎている。しかし、この間も常にタイの政治や社会においては親タクシンと反タクシンの対立があった。

下記では彼の生い立ちから現在の亡命生活までを詳しく紹介していく。

 

タクシンの生い立ちから政界進出まで

タクシンことタクシン・チナワットはシルクで成功した有名な名家に生まれる。タイ北部チェンマイ出身の中国系のタイ人である。

タイの警察士官学校を首席で卒業し、内務省警察局に警察少尉として任官する。半年後局内でアメリカ留学の機会を得て刑事司法修士過程をわずか4ヶ月で修了して帰国する。2年後にもアメリカへ留学し、刑事司法博士を取得している。博士号を取ってからの帰国後はタイ王国首都圏警察参謀局へ入局した。

タイの警察は副業を行っている人も多い。タクシンも以前から副業を行っていた。実家のシルク販売を手伝ったり、移動映画の事業などで資産を増やし、不動産事業を始める。しかし、不動産事業ではコンドミニアム販売に失敗し、5000万バーツ(約1.7億円)の負債を抱える。その後も警察という身分のコネクションを活かしたコンピュータ貸し出しサービスを開始するものの、こちらも失敗に終わり、2億バーツ(日本円で約7億円)とも言われる赤字を出す。

そんな状況で次に目をつけたのが通信事業だった。チャーチャーイ政権下の利権政治時代に通信事業の免許獲得に躍起になり、タクシン・チナワット系企業は22件の通信事業免許のうち7件を獲得、AISという携帯電話会社を立ち上げた。このAISはタイでの携帯電話の普及に伴って大きく成長し、タイを代表する会社となった。

 

タイAIS

バンコクのショッピングモール内にあるAISの支店。2019年現在もAISはタイにおける3大キャリアの1つであり、携帯SIMのサービスを行っている。

AISの成功により、タクシンはタイ国一の富豪と言われるようになった。ここから政治にも目を向けるようになった。

 

タクシンの政界進出

タクシンは1994年チャムローンのパランタム党(法力党)の一員として政治活動を始めた。その後、アメリカ留学で培った語学力を認められ、外務大臣に任命される。次のバンハーン政権では副首相の座についた。1998年になると、タクシンは自身で「タイ愛国党」を結成する。

農民の関心を得るために農民の借金の返済を3年間猶予、全ての村に100万バーツ(約300万円)ずつ配分する村落基金、30バーツで診療してもらえる制度も作ることを公約した。タイの国民の半数は貧しい農民であり、ポピュリズム的(人気取り的)な要素を盛り込んだタクシンの政策は貧困層や人口のおよそ6割を占めると言われる農村部を中心に支持される。加えて、タイ愛国党はタクシン系企業からの潤沢な政治献金で地方の有力議員を集め、2001年以降議席の過半数を占める与党となった。

 

反タクシンの台頭

2001年以降、タクシンは強固な基盤を持つ絶対与党に仕立て上げるために、自身のタイ愛国党の議員が敗れた選挙区への予算配分を止めると脅すなど、権威主義の再来とみなされるようになる。その結果、タクシンによる恩恵を受けなかったり、タクシンにより権益を失った層が中心となって反タクシン運動が始まる。

こうした反タクシン派が台頭する中で行われた2005年総選挙でもタクシン率いるタイ愛国党は圧勝し、タイで初の単独政権を樹立した。これはタイ第二の都市であるチェンマイ含む北部の農民や貧困層の多くが相変わらずタクシンを支持していたためである。

反タクシン派がタクシンを攻撃する材料を探す中、2006年1月タクシン一族はAISの親会社であり、自身が経営するシン・コーポレーションの株49%をシンガポールの会社に733億バーツ(約2500億円)で売却した。この売却益に対する課税が2500万バーツにしかすぎなかったため、タクシンに対する批判がより高まっていった。この批判に対し、2006年2月24日、タクシンは下院の解散という選択肢を取る。3月になると、首都バンコクで退陣を求めるデモが活発化し、総選挙が行われた4月2日にも野党やその支持者は選挙をボイコット、白票が相次いだ。再びタクシン率いるタイ愛国党が勝利したものの、既得権益者の多かった首都バンコクの選挙区ではタイ愛国党への投票以上にボイコットを示す白票が投じられた。39の選挙区で有効票が規定に達せず、国王はこの選挙が有効かどうか裁判所が判断すべきと異例の意見を出した。そして、最高裁判所はこの選挙は無効との判決を下し、再選挙が決定する。

再選挙が決定すると、タクシンは国王に対して退陣を表明する。首相の職務はチッチャイ・ワンナサティット副首相が代行し、タクシン自身は休養に入ると宣言した。しかし、実際にはタクシンが職務を行っており、やはり反タクシン派が反発する。軍内部でもタクシンの身内で要職に就いているタクシン派と反タクシン派の対立が起こっていた。

 

タイ国軍のクーデターとタクシンの亡命生活の始まり

クーデター時のタイ国軍兵士

クーデター時のタイ国軍兵士(www.flickr.comより)

 

2006年9月19日反タクシン派を中心とした軍部は、タクシンがタイに居ない間にクーデターを起こした。

タイでクーデターが起きた翌日の2006年9月20日、タクシンは滞在していたニューヨークからロンドンへ移動する。これが事実上の亡命とみられる。その後、2008年11月8日に英国政府がビザの停止を発表した。

NHKが2009年3月にドキュメンタリー「沸騰都市」で行ったタクシン本人への電話インタビューでは「所在を転々としている」と明かしていた。タクシン亡命生活中、日本へも何度か訪問している。2014年5月22日、プラユット・タイ陸軍司令官、現タイ首相がクーデターを起こした際には、タクシンは日本に滞在していた。

 

ここまでの参考資料

wiki タクシン・チナワット

 

 

タクシン・チナワット退陣後のタイ政権

インラック政権時のデモ


2006年9月に起こったクーデターの後は陸軍大将がしばらく首相の座に就いていた。タクシンを国外へ追いやってから1年と3ヶ月後、2007年12月には民政へ移管するための総選挙が行われた。ここから再びクーデターが起こり、2014年5月22日タイ陸軍司令官・プラユットがクーデターを起こすまでにも何度か首相が変わっている。

タクシン亡命後も権力の中心ではタクシン派と反タクシン派との対立が続いていた。プラユット現首相が就任するまでの政権推移をタクシン派、反タクシン派の記載とともに記述すると下記のようになる。

 

1.サマック・スントラウェート(タクシン派):2007年12月~2008年9月

2.ソムチャーイ・ウォンサワット(タクシン派):2008年9月~2008年12月

3.アピシット・ウェーチャチーワ(反タクシン派):2008年12月~2011年7月

4.インラック・シナワトラ(タクシン派):2011年8月~2014年5月7日

5.ニワットタムロン・ブンソンパイサン(タクシン派):2014年5月7日~2014年5月22日

6.プラユット・チャンオチャ(反タクシン派):2019年5月22日~現在

上記6番目のプラユット氏を除いた各首相について、もう少し詳しく紹介する。

 

1.サマック・スントラウェート(タクシン派):2007年12月~2008年9月

サマック・スントラウェートはタクシン派に担がれて選挙に勝利した無所属議員だった。反タクシン派からはタクシンの傀儡政権とみなされている。サマック氏が首相になってからはタクシンの影響力を排除するため、政権に対してのデモが起こる。これを受けて、サマック氏はバンコク非常事態宣言を出した。この時、反タクシン派は再度のクーデターを期待する。しかし、軍は静観することに決めた。

軍や反タクシン派のデモにより首相辞任へ追い込むことはできなかったものの、司法(憲法裁判所)が「サマック氏がテレビの料理番組に出演し報酬を得たことは、憲法で定められた首相の副業禁止条項に抵触した」と違憲判断を下す。これを受けて、サマック内閣は総辞職する。

 

2.ソムチャーイ・ウォンサワット(タクシン派):2008年9月~2008年12月

サマック内閣の総辞職後9月9日に、ソムチャイは首相臨時代理に就任、国会で首班指名を受けて、同月17日に首相に就任した。この人もタクシン派の議員である。そのため、反タクシン派の民主市民連合は首相府占拠やスワンナプーム国際空港占拠などの過激なデモ活動を行った。その結果、憲法裁判所による司法クーデターが発生し、2007年12月総選挙の組織ぐるみの選挙違反を表向きの理由にして、与党であったタクシン元首相派の「国民の力党」は解党処分、ソムチャイ首相を含む党幹部の公民権を5年間剥奪するという違憲判決が出された。ここで首相ソムチャーイ・ウォンサワットも失職する。

ちなみに、彼の妻はタクシンの実妹インラック(のちのタイ首相)である。

 

3.アピシット・ウェーチャチーワ(反タクシン派):2008年12月~2011年7月

首相ソムチャーイ・ウォンサワットの失職を受け、2008年12月15日に下院で行われた首相選出選挙が行われる。この首相選出選挙で235票を獲得、198票を獲得したタクシン派のタイ貢献党のプラチャ・プロムノックを破って首相に選出された。

ちなみに、アピシット・ウェーチャチーワ首相実務訪問賓客として来日経験もある。

 

4.インラック・シナワトラ(タクシン派):2011年8月~2014年5月7日

インラック・シナワトラ首相

markethack.net

 

タクシンの実妹。

2011年7月3日に施行されたタイ王国国民議会の人民代表院総選挙にて、インラックはタイ貢献党首相候補として選挙戦を戦う。タイ貢献党は、選挙前より79議席も増やして500議席中265議席を獲得、過半数を制して勝利し、他の5つの党との連立で300議席という安定政権を作ることにも成功した。インラックは8月5日に下院で第36代タイ王国首相に選出され、8日に正式就任した。

インラック首相在任中、2013年11月からバンコクを中心として、反タクシン派によるデモが活発になる。デモのきっかけとなったのはタイ国外に逃亡中のタクシン元首相を帰国に導くために、恩赦*(おんしゃ)法の審議をインラック首相が始めたことに端を発する。

*恩赦:行政権(又は議会)により国家の刑罰権の全部又は一部を消滅 若しくは軽減させる制度のこと。

対立の根幹であり、タブーでもあるタクシン元首相に触れたことによりデモが再燃した。バンコクの主要道路を塞ぐといったデモの激化により、2014年1月、インラック首相はバンコク非常事態宣言を発令し、夜間外への外出は避けるように命令が出る。デモが落ち着いてきた3月19日になると、バンコク非常事態宣言は解除、事態は収集するかのように思われていた。

しかし、2014年5月7日に政府高官人事で職権を乱用したとされる裁判で、タイの憲法裁判所はインラック首相の行為は憲法違反とする判決を下す。「人事権の職権乱用」という意外な理由でインラック首相は失職に追い込まれた。この間、軍に拘束されるなどして、タクシン派の反発を招くこともあった。

その後、インラック氏は有罪判決が出る前にタイを出国している。タクシン氏と日本旅行に訪れていたり、先日2019年3月22日にはタクシン氏の娘の結婚式のため、タクシン氏とともに香港へ訪れていた。

 

5.ニワットタムロン・ブンソンパイサン(タクシン派):2014年5月7日~2014年5月22日

第3次インラック内閣に首相府相として入閣し、第4次インラック内閣では副首相兼商業相を務めた。2014年5月7日にインラック首相が憲法裁判所より有罪判決を受けて失職すると、首相代行に就任した。しかし、5月22日にタイ陸軍司令官・プラユット司令官がクーデターを宣言したことで、暫定内閣は崩壊した。

 

参考資料、記事

 

wiki サマック・スントラウェート

wiki ソムチャーイ・ウォンサワット

wiki アピシット・ウェーチャチーワ

wiki インラック・シナワトラ

wikiニワットタムロン・ブンソンパイサン

 

タクシン退陣後の政権推移まとめ

プラユット(現タイ首相)

プラユット(現タイ首相)

 

クーデターを起こしたた理由としてプラユット・タイ陸軍司令官(現タイ首相)は「タクシン派と反タクシン派による対立によってタイの国内情勢が不安定になっているから」と発言している。しかし、実際は「反」タクシン派が、タクシン派を抑えるために起こしたクーデターである可能性が高い。

 

タイでは正当な選挙でタクシン派が勝っても、裁判所で選挙の無効判決が出たり、軍によるクーデターで首相が退陣する事態になっている。簡単に言うと、タクシン派は国民からの支持を得れても支配階級の力により政権を維持できない状態だ。

政治不安を解消するために期待された国王も、権威主義を嫌った反タクシン派を擁護する立場になっており、こうした不安定な情勢は今後も続く可能性が高い。急速に成長した経済の裏で、現在も政治的な対立がタイの足を引っ張っているのだ。

 

日本への影響を含むタイの今後

サラディーン交差点にかかる日タイ友好の橋

サラディーン交差点にかかる日タイ友好の橋

 

今回2019年3月の選挙も北部や貧困層からの支持が厚いタクシン派優勢で進んでいた。昨年には、タクシン派の1つであったタイ国家維持党が、タイで神聖不可侵の存在である王室から王女を首相候補に擁立し話題になっている。しかし、王女を首相候補に擁立したことで、国家維持党は憲法裁判所に解党を命じられた。解党により、選挙直前で約280人のタクシン派立候補者が取り消される事態となった。

残ったタクシン派中核のタイ貢献党や若者に人気で反軍政の新未来党も解党処分を求める請求が選挙管理委員会に出されている。選挙の結果次第で、軍政が更に介入してくる可能性はあるだろう。タイの政治及び社会において、もうしばらくは軍のコントロール下で政策が進む可能性は高い。

 

選挙による日本への影響

タイの夜遊び

 

タクシン派、プラユットが率いる軍政、どちらがタイの政権を担っても日本への影響は少ないかと思う。以前から日本政府とタイ政府も関係は良好であり、国レベルでは政治的、歴史的な対立も無い。

ただし、領土問題を抱えて中国と仲の悪いフィリピンやベトナムと違い、タイは近年、親中国の政策が多くなっている。軍事的な結びつきだけでなく、タイ国内でも中国資本の企業が増えており、一部都市では日本の存在感が薄れている状態だ。近年の軍事政権はこうした親中の政策が多いため、プラユット首相の続投が決まれば、これも進んでいくだろう。

また、性風俗の取り締まりについてもプラユットの軍事政権になってから加速している。急速な取り締まりはなされないにしても、タクシン政権時代よりも表面上の摘発は増えており、規制が進んでいる。これを目当てにタイでの滞在を楽しんでいる日本人も多いだろう。この分野での政策においては、軍政から民政に移ることで、以前のような緩さを戻してくれることに期待している人もいるはずだ。

もちろん、軍政以外の政権が与党になったとしても、対中政策や性風俗規制で変更が無いどころか更に進む可能性はある。日本人という外国人の立場において、今回の選挙で誕生する政権に望むのは、親中政策はともかく、自由度が高いタイをこれ以上の規制してほしくないということだけである。